大和屋竺をめぐる対話

於 一角座(上野)
上野昂志 (映画批評)
荒戸源次郎 (プロデューサー・映画作家
西山洋市 (映画作家
青山真治 (映画作家・小説家)

上野  「・・・今日の『愛欲の罠』も大和屋さん出られてるんですけど なんか役者としてもいい感じですよね.」
西山  「そうですね. 言うまでもなく顔がとてもいいんですよね. それと声がよくて. だから長い台詞を言ってもらいたくなるんですよね. 歌をうたってもらいたくなるというのと同じ感じで 『ぬるぬる燗燗』の最後の方でも長い台詞だったんですけど まあカット割れば割れるんですけどなるべく朗朗と大和屋さんの声を聞きたいなって感じになるんです.やってもらうと. 覚えきれなくて間違えてしまうくらいで切って・・・ という最低限の切り方にしてあとは置きっぱなしで台詞をずっと録りたくなるという感じだったんですけど.」
上野  「確かにね 大和屋さんのことを思い出すと最初に声を思い出すみたいなことがありますけどね. だからそれは撮られる側のひともそうなのかなと伺ってて思いましたけど. それと青山さんは大和屋さんの映画とかシナリオとか御覧になってると思うんですけど ある種の先輩の監督としてあるいは脚本家としてどんな感じに・・・」
青山  「もちろん作品レヴェルで尊敬してるんですけど 助監督と俳優という関係で出会ってるんですね. で本当にジェントルマンなんですよ. 酒を呑んでる場に同席させていただいた時も難しいはなしをなさるし・・・ ジェントルマンだなあというのが常にあったですね. 絶対声を荒げたりすることがこのひとはないんだろうなあというような本当にやさしい方で. 三日四日の撮影でスケジュールを僕が書くっていうかたちでやってたんですけど スケジュールを書いてますと よく考えたら目の前に藤田敏八大和屋竺がいるわけですよ. ふたりとも助監督経験者ですよね. 控え室だったんですけどそこしかなくて場所が・・・ 弱ったなあと思って書いてたんですけど “青山いつまでやるんだ”“いや なにをですか”“助監督だよ”“いやいや まだ始めたばっかりなんで”“まあ三年だね”“藤田さん何年ですか”“八年かな”“長いじゃないですか”っていうはなしをしていて・・・ “長くて五年短くて三年でいい 助監督は”ってふたりに言われて パキさんもすごいジェントルな方だったんで本当にあのとき助監督として先輩監督である俳優さんたちに勇気づけられたなあという記憶がいまだに残ってますねえ.」
上野  「西山さんはどんな・・・」
西山  「いや 大和屋さんに限らないと思うんですけど出演なさる監督・・・ 藤田さんもそうなんですけど 我々の近くでいうと黒沢清さんとかちょろっと出たりするんですが そうするといつも思うんですけど つくる映画に似てる・・・ 大和屋さんもそんな感じがしたんですね. 台詞まわしとか うーん なんでしょうか トーンなんですかね・・・」
青山  「肉体感覚みたいなものがありますよね.」
西山  「そうそうそう」
青山  「例えば単純にぽーんと物を投げるとかそんなことでもそのひとがやってるのと映画の中で誰かがやってるのと殆ど一緒で 歩き去るとかそれだけでもう・・・」
西山  「肉体感覚というのは近いと思う. リズムとかね. 歩き方とか単純なことなんだけど. それを何故かは知らないんだけど その監督が出ている映画の役者さんを観てるわけなんですけど パッと肉体的に反応するんですね.」
青山  「そうですね. それはすごい濃いですね.」
西山  「職業的な俳優さんよりも藤田さんや大和屋さんの方がにおいが濃いっていうんですかねえ. なにか訓練で削ぎ落とされてしまったものが無いような生の魅力みたいなものと同時に自分たちが演出するなかで培ってきたなにかがごっちゃになって出てきてるんじゃないかと思うんです. その肉体感覚とともに. そんな感じがしました. それと普段喋ってるときの感じと違うのでちょっと対処に困ってるんですけど.」

『AA』をめぐる対話


於 池袋シネマロサ

蓮實重彦 (映画批評・仏文学)
青山真治 (映画作家・小説家)


蓮實  「私が68年に立教大学の講師になりまして 一年目二年目 彼は69年に辞めてしまうんですけど ですから一年ちょっとの間フランス文学講義というのをやり その時奥の方になにか白くてぽちゃっとしたやや病的な皮膚 といっても私が見たのは頬の辺りだけですから やや病的な青年がいて名簿を見て名前を呼ぼうとしてもアイダというのではいかにもベタなので この方は何とお呼びするのでしょうかと訊いたらばアイダですとお答えになったのです.  彼の方から私に声をかけたのはそれが唯一ですね.」
青山  「そうですか その授業は完全に講義であって そこでゼミ的に生徒とやりとりするということは無かった・・・」
蓮實  「そうですね 私が就職してすぐですから与えられた教材を 既に立教で決まっていたので それを週ごとに少しづつ・・・ 病的な頬の色というのを鮮明に覚えている・・・」


青山  「・・・その後 間章との交流はおありになったんですか.」
蓮實  「いや 彼と授業以外のところで口を利いたという記憶がまったく無いですね・・・ あったのかもしれませんけど覚えてないです. それで彼がジャズについてなにか色々詳しく書いているというのはその後知りまして・・・」
青山  「あ それはその御存知だったんですね」
蓮實  「ええ それで彼が亡くなったときに ・・・葬儀ではないんですね 亡くなったお宅に行った記憶もはっきりしています.」
青山  「それはどなたかと一緒に行かれた・・・」
蓮實  「当時の同級生だと思いますけど 間が死にましたのでということで・・・」

対話 パスカル・ランベール/青山真治


於 東京日仏学院飯田橋

パスカル・ランベール (演出家)
青山真治 (映画作家・小説家)


青山  「いま僕自身が考えていることは これはフランス語でなんて言うんだろう・・・ 《活劇》って・・・ まあアクションって言ってもいいのかもしれないけど アクションといっても拳銃を振り回すものだけではなく 映画そのものが常に《モーション・ピクチャー》として《活劇》であるという風な考えを持っていて それは先程パスカルが言っていたような時間の持続っていうことと関係があることなんですね. カットがかわっても同じ時間が持続しているかのように描くこと・・・ 本当は時間とか嘘をついたものなんだけど でもその嘘を嘘だというふうに見せないように如何に時間を持続させていくか それは断片をつなぎ合わせていって作る作業なんだけど そこにひとつの時間そしてそのひとつの運動・・・アクション 《活劇》が生まれる・・・ 非常に古典的な概念だと思うけど古典的な概念を自分がいま21世紀になった段階でどうやったら いま 現実に必要なものとして描けるか.  色んな意味で 政治的にもそれから社会的にもあるいは芸術のうえにおいても このアクションということが・・・ 《活劇》ということがどうも失われているような気がして仕方がない. 」

21世紀の溝口健二


於 青山ブックセンター本店

蓮實重彦 (映画批評・仏文学)
山根貞男 (映画批評)
青山真治 (映画作家・小説家)


青山  「どうしてもこれだけは言っておかねばならないという言葉がいくつかありまして これは非常に短い単語なんですけど 《軽薄》 《活劇》 《剃刀》 このみっつの言葉が私のなかをぐるぐるぐるぐる・・・ この書物のなかの言葉としてまわっている次第でして.」

『悪魔のいけにえ』をめぐる対話

於 シアターN渋谷
黒沢清 (映画作家
篠崎誠 (映画作家


篠崎  「(黒沢に)会いたいとフーパーさんが言って それで日本の滞在をちょっと延ばして黒沢さんと銀座のお店で・・・」
黒沢  「はい 会いましたね・・・」
篠崎  「それは雑誌社とか取材させてくれと言ってきたんですけど 完全オフがいいというのがふたりの共通の意見でしたので」
黒沢  「プライヴェートで」
篠崎  「ふたりがしっかと抱き合うのを目の当たりにして感動しました」
黒沢  「本当にあれは感動して  つまり2001年にちょろっとロサンゼルスで会って まあそれはもう映画会社のコネで会ったんですけど・・・ 覚えてくれてたんですよね 僕のことを  それでその後DVDなどで僕の作品を結構観ていてくれたんですね  だから会うなり「君の『Bright Future』は素晴らしかった」と言ってくれたんですよ  『Bright Future』っていうのは『アカルイミライ』という映画なんですけど アメリカでも小さなかたちで公開されたんですけど 本当にもうマニアックなもので・・・  DVDで出てはいるらしいんですけど そんなものをどっかから探してきて 別に日本で僕に会うと決まっていたわけでもないのに観ていてくれたというのは本当に嬉しかったですね」
篠崎  「なおかつ通り一遍の観方でなくて あの中でボーリング場のシーンが出てきて ボーリング場の色調のはなしでしたっけ・・・」
黒沢  「ボーリング場の色調と明かりの具合が大変おもしろくて気に入ったと すごい細かいことを言ってくれまして感激致しました」
篠崎  「僕ももらい泣きじゃないですけど 洋の東西のある意味狂ったふたりの監督が出会って・・・ いずれなにか凄いことが共同で起こったりするのかしら そう遠くない未来にと僕は思ったりしたんですけどね」