『AA』をめぐる対話


於 池袋シネマロサ

蓮實重彦 (映画批評・仏文学)
青山真治 (映画作家・小説家)


蓮實  「私が68年に立教大学の講師になりまして 一年目二年目 彼は69年に辞めてしまうんですけど ですから一年ちょっとの間フランス文学講義というのをやり その時奥の方になにか白くてぽちゃっとしたやや病的な皮膚 といっても私が見たのは頬の辺りだけですから やや病的な青年がいて名簿を見て名前を呼ぼうとしてもアイダというのではいかにもベタなので この方は何とお呼びするのでしょうかと訊いたらばアイダですとお答えになったのです.  彼の方から私に声をかけたのはそれが唯一ですね.」
青山  「そうですか その授業は完全に講義であって そこでゼミ的に生徒とやりとりするということは無かった・・・」
蓮實  「そうですね 私が就職してすぐですから与えられた教材を 既に立教で決まっていたので それを週ごとに少しづつ・・・ 病的な頬の色というのを鮮明に覚えている・・・」


青山  「・・・その後 間章との交流はおありになったんですか.」
蓮實  「いや 彼と授業以外のところで口を利いたという記憶がまったく無いですね・・・ あったのかもしれませんけど覚えてないです. それで彼がジャズについてなにか色々詳しく書いているというのはその後知りまして・・・」
青山  「あ それはその御存知だったんですね」
蓮實  「ええ それで彼が亡くなったときに ・・・葬儀ではないんですね 亡くなったお宅に行った記憶もはっきりしています.」
青山  「それはどなたかと一緒に行かれた・・・」
蓮實  「当時の同級生だと思いますけど 間が死にましたのでということで・・・」